2025-06-30
私は、幼いころから「羨ましい」という感情を捨てていた。
〇〇ちゃんはいいな、なんで私は…、なんて考えたら、
自分が“かわいそうな人間”に成り下がってしまう気がしたから。
それは恐ろしかった。
だから、それを、しなかった。
自分をかわいそうにしたくなかった。
誰からも哀れに思われたくなかった。
だから自分のことを、不幸だなんて思わないようにしたんだ。
それは意地とか強がりじゃなくて、誇りがゆえのことだった。
でも、きっと本当は甘えたかった。
大人に、甘えたかった。
私はいつも、のどぼとけの奥をふさいで、言葉を詰まらせていた。
甘え方を知らない私は、思いを言い出すのが苦しくて恥ずかしくて、ずっと言えなかった。
だから何も感じないふりをして、日々を通りすぎる。
それが、私の生きる術だった。
それでも私は、自分のことが愛おしかった。
こんなにも我慢して、誰にも気づかれずに立っている自分が。
こんなにも耐えて、誰のせいにもせず攻撃もしない自分が誇らしかった。
だから、自分のプライドは守ろうとしたんだ。
いつからか、私の中に反骨心が生まれた。
怒りや苦しみを他人にぶつける代わりに、
私は刹那的に生きて、心の美しさを武器に自分を守る方法を選んだ。
「親なんて死ねばいい」——
そんな感情が一瞬でも胸に浮かぶたび、
私は天に向かって懺悔し、泣いて、心の中で撤回した。
そう思ってしまう自分が悲しかった。
でも、そんなふうに思ってしまいたいくらい、傷ついていた。
怒りを外に向けることはしなかった。
その代わり、何かにヤケクソに反発した。
世の中の常識や、優等生的な態度、素直な子供らしさ、、
“こうあるべき”という正しさに、無言の刃を向けた。
私は壊したかったんじゃない。
壊れたくなかっただけだ。
心が乱れるのを避けたかった。
心を美しく保ちたかった。
それが、私なりの防衛だった。
幼さゆえの無力の中でも、私にできたことがあった。
— 自分を嫌わないこと。
— どうにもならない環境に、黙って折れること。
— 羨むという感情を、忘れるように無いものにして手放すこと。
— そして、天を仰いで、心だけは汚さずに、ピュアでいること。
それが、私の小さな哲学だった。
誰に教えられたわけでもない、
ただの子どもだった私が、自分を守るために編み出した、私なりの美意識の塊。
そしてもう一つ、私に誇れるもの——
私には、記憶にない姉がいる。
物心つく前に空へと旅立っていった姉。
記憶にはいないのに、
私はなぜか、ずっと姉の存在を感じていた。
私が天を仰ぐとき、
そこにいたのは、たぶん、姉だったのだと思う。
私は、生きている。
姉は、生きられなかった。
だから私は、心のどこかで思っていた。
「私はわがままを言っちゃいけない」
「私は、だまってちゃんと生きなくちゃ」
そんなふうに、自分を律した。
それは窮屈な鎖でもあったけれど、同時に誇りでもあった。
大人になった今、ふと思う。
姉が生きていたら、どんな風に生きただろう?
何が好きだったんだろう?
どんなことを話しただろう?
それは、分からない。
でも、私は知っている。
私と姉は、目に見えない形で、確かに約束を交わしている。
——自分らしく、生きよう。
その約束は、今もこれからもずっとずっと永遠。
私は、姉の代わりに生きているわけじゃない。
姉と一緒に、自分の人生をまっすぐに、生きている。
これが、私の原点だ。
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