2024-12-22
思考を変えれば人生が変わる——
ネガティブな思考は、凝り固まった考えから生まれます。
新たに柔軟な視点を持つと、物事を合理的にとらえることができ、イライラやストレスから解放され、気分よく生きることができます。
物事のとらえ方を柔軟にして、ポジティブな感情にするためのコツをご提案します。
物事には良い面と悪い面があり、自分にとって良くないことでも、他人にとっては良いということがあります。物事は視点や立場によってとらえ方や価値が変わるので、好き・嫌いの二択で片付けないようにします。
なぜなら、人間は嫌いなものを好きになるのは難しく、嫌いなものは非常に目障りとなるからです。物事を好き・嫌いの二択で判断する思考の癖は、『あれは嫌い、こういう人は嫌い、、』と嫌いなものが増え、ネガティブな感情に振り回されやすくなります。
さて、老子道徳経の「第2章」に、
「美しい」と思うことで「醜い」が生まれる、「善い」と思うことで「善くない」が生まれる——
と言う一説があります。
この意味は、我々がどちらか一方を「美しい」とするから「醜い」を生み出しているだけにすぎないことを説いています。
そもそも「美しい」や「醜い」といった価値観は本来存在しないものであり、それにとらわれるべきではありません。物事を「そこに在る」ものとしてとらえる視点を持つことで、ネガティブな感情が生まれにくくなります。
「善いこと」と「善くないこと」は立場が変われば逆転することを理解し、なるべく嫌いと言う感情を持たずに好きという立場で理解してみます。
しかし嫌いなものを無理に好きになる必要はありません。ですから『そういう視点もあるよね』という柔軟な視点を持ち、冷静な感情を保つことでネガティブな感情から遠ざけることができます。
好き・嫌いで判断しない。
物事がうまく運ばなかったとき、ネガティブにとらえる必要はありません。
我々はしばしば失敗を恐れて行動できないということがあります。しかし、失敗は成功(ゴール)のための単なる過程ですので避けることはできません。
単純な話、成功(ゴール)までの道のりの中、そこで起こる出来事の中に失敗があるだけです。人生で起こる出来事は、良いことも悪いことも含めて糧となります。失敗とは私たちが成長し続けるうえで大事な要素なので、避ける必要もないのです。
とはいえ、失敗は苦い思い出でもあります。苦い思い出はスキルアップや精神の強さに変えてパワーアップする、そしてまた歩み続けることで克服することができます。
また、高い目標を掲げゴールまでの道のりが長ければ長いほど、失敗という景色を何度も見ることになります。つまり成功する人は、失敗を恐れず積み重ねていくことに意義を見出す力があるのです。
もし失敗が怖いと感じるのであれば、スピリチュアルな視点から『この道は違うという神からのお告げだ』ととらえてみるのも良いでしょう。それでも失敗を避けたいのであれば、何も行動しないという選択肢もあります。ただし、それは引きこもり、味気ない生活を受け入れることを意味します。
失敗はネガティブなことではありません。目標の大小に関わらず成功までの道のりにある、単なる思い出や景色です。失敗とはそんなものです。
失敗の数ほど成功につながるのですから、目標に向かって諦めずに行動していくことです。または、大きな成功にこだわらずとも、人生とは淡々と粛々と行動すればよいだけだととらえます。失敗など恐れる必要はありません。
失敗は単なる出来事、いずれ景色となる。
人生は自分の思い通りにならないことが多々あります。
など、自分の思い通りにいかずにイライラすることは普通にあります。ですが、このような事象は自分ではコントロールができず、どうにもならないことです。
自分ではどうにもならないことに不平不満を言うと、悪い感情が増幅するエナジーとなってしまうため精神的に不健康になります。イライラ・モヤモヤする時間は大損です。
思い通りならないことでイライラしたり、被害者意識を持って何かのせいしたりすることは、何の役にも立たないどころか不幸の始まりです。
ですから、変えることのできない物事だと諦めて手放します。そして『自分には何ができるのか?』と、今できることを冷静に考え行動に移したほうが賢明です。
人生にはどうにもならないことがあると悟り、そういったものは即座に捨ててしまいましょう。そうすれば楽に生きられます。
どうにもならないことは手放す。
我々は言わなくても理解してくれると思いがちですが、この考えは被害妄想や絶望感を招きやすくなります。
そもそも他人のことを本当に理解できる人がどれだけいるのでしょうか?自分のことさえよく分からないのに、他人のことなど分かるはずがありません。
よって、『言わなくても分かるでしょ?』などと期待してはならないと考えます。絶望感に襲われたとき『誰も私を理解してくれない』などと思うのは勝手ですが、傲慢と言っても過言ではありません。なぜなら、逆に『自分は誰かを分かってあげられているのか?』という問題が生じるからです。
そんなことを嘆くなら、まずはしっかりと自分の言葉で伝えることが大事です。『私はこう思っている、こうして欲しい、助けてほしい』など。自分の考えを伝えることが責務だと考えます。
言葉で伝えられないときは自分の責任と考え、コミュニケーションの努力が足りないと内省してみることも必要です。
私を分かってくれないのは当たり前。
コミュニケーションが苦手な人はいます。
それでも、マンションの管理人さん、病院の受付のスタッフ、コンビニの店員さん、スーパーのレジ係の方など、一日の中で人と触れ合う機会は多々あります。
何となく人と関わるのが苦手、、と言う方は、お店の店員さんへの関わり方から変えてみるとよいのではないでしょうか。日々の機会を一期一会、ありがたく感謝し感じよく接してみます。ニコっと微笑み『ありがとうございます』と言ったり、会釈をすればよいのです。
言われた相手側は心が温かくなったり、嬉しく感じたりするに違いありません。なぜなら、人の微笑みは美しいものです。人を和やかにさせる力もあります。意外にも日ごろ、そういったことを忘れがちではありませんか。
たとえ一期一会の店員さんだとしても、自分の一日に関わっていただく方としてとらえます。そしてそのような方々に感謝の気持ちを持つことで、心が洗われるような気持ちになることができます。これは、自分自身を大切にすることにもなるのです。
そしてこのような日々の積み重ねが、身近な人や大切なへのコミュニケーションを楽しむことに繋がっていくのだと考えます。
一期一会の店員さんに微笑みを。
他人のマナー違反や不穏な態度、悪態、感じの悪さなど、すべて小さなこと、どうでも良いことだと考えます。
そもそも他人に期待をするから腹が立つのです。家族や近くに他に良い人がきっといます、そこに目をつけていきましょう。
他人の人生に期待した結果、自分のプライドが気付けられてイライラする行為は、自分が勝手に作った問題です。なぜなら、他人の人生に期待はできないからです。
例えば、、「自分も大谷選手のようなスターになりたい」と思っても、それが非現実なことであると誰もが理解しています。みな期待してはいません。
それと同様に、他人に非現実的な期待をしなければよいのです。他人の人生は自分には全く関係のない、背景のようなものなのですから。
他人の人生はただの背景。
相手を大切にするという行為はもちろん重要ですが、”では、どうすれば相手を本当に大切にしていることになるのか”というのは難しい問題ですよね。
相手に気を使い過ぎたり、自分を犠牲にしたりするのも違いますよね。特にコミュニケーションが苦手な方ならなおのこと、このあたりの距離感が難しく感じます。
ですから、こう思えばいいのです。
人を軽んじない。これに尽きます。
「軽んじない」という意味は、自分自身と対等に扱うということです。自分と同様に考え、上からでもなく逆に恐縮するでもなく、同じ目線で対等に接すればよいということです。
相手を気にしすぎることで不平不満や被害者意識が芽生えたり、逆に見下したりすることで傲慢になります。これはネガティブな感情を生むきっかけになります。
人に対しては、自分のそれ以上でもそれ以下でもない。気を使いすぎたり傷つけたりしない。これだけなのです。
人は対等。
以上、思考を変えることによって人生の質が上がります。ポジティブになりたい方へ、ぜひ参考にしていただけると幸いです。
今回の記事【思考を変えれば人生が変わる】②物事のとらえ方 のシリーズ三部作として、以下の記事もご紹介させていただきます。
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