2025-06-08
その人がどんな服を着ているか、実はそれほど重要ではないと思う。
なぜなら、同じ服を着ても、同じにはならないから。だから、表面的なスタイルではなく、その人の在り方や思想が、装いの奥ににじむことを忘れてはならない。
その人は、「なぜ、その服を選んだのか?」
問いかけるべきは、その一点だと思う。
外見の印象ではなく、選び取る姿勢。そこに、その人の美しさが静かに表れる。
服が似合うとは、外見とのバランスの話ではない。
むしろ、内面と装いが調和し、響き合うとき——それが、似合うという現象なのだと思う。
骨格診断もパーソナルカラーも、それなりに便利ではあるけれど、それだけでは、自分らしさには届かないから。
私は、服を選ぶとき、他人の目や似合うかどうかよりも、今の自分の内面に合っているかどうかを大切にする。
装いは、外見を飾るためではなく、内面と共鳴するためにある。
そう考えると、服選びは“今の自分を良く知り”、“自分を正していく”という姿勢が大切な気がする。
その人がどんな装いをしているか——それは、ただの選択ではなく、在り方の現れだと思う。
もし、その装いが美しいと感じられたのなら、それは、服が美しいのではなく、その人自身の佇まいが、美しかったのだろう。
「華やか」な服を着ているのに、それがすっと調和して見えるとき。そこには、きっとその人自身の軸がある。
逆に、服の印象ばかりが目に残るとき、そこに人が追いついていなければ、それは「派手」という印象に変わってしまう。
見た目にこだわりすぎると、「華やか」は簡単に「派手」に転ぶ。
誰よりも目立とうとする気配、「個性を出そう」と意図された装いには、どこか気張った作為がにじむからだ。
美しい装いとは、「見せる」ではなく、「滲む」ものなのだと思う。
だから私は、服を見るとき、その人を見ている。
どんな服かより、それがどう在っているかを見ている。
本当の美しさとは、装いと内面が響き合っているとき、美しさは、静かに、自然に、滲み出る。
ただ、それだけのことだと思っている。
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