2025-06-29
服の悩みでよく聞くのが、「着たい服が分からない」「似合うものが分からない」というもの。
でもその本質は、単なるセンスや診断の問題ではありません。それは、自分との対話が足りていない状態——「どうありたいか?」が言葉になっていないことにあります。
「着たい」は、パッと見た服のセンスや雰囲気に共感した感覚。
「似合う」は、実際に着たときのバランスや全体の印象。
この二つがズレるのは、服を“着たとき”のシルエットや空気感を、事前にイメージできていないから。
つまり、多くの人は「見た目」だけで服を判断し、素材・形・シルエットという“構造”を理解しないまま選んでいるのです。
だから必要なのは、「センスを磨く」ことではなく、実際に着て・撮って・振り返ること。つまり、試着し、自撮りし、客観的に自分を見るという地道な実践です。
例えば:
「あ、これ、かわいいTシャツ♡」ではなく、
→「無地でシンプル、ハリのある素材だから高級感が出そうなTシャツ」
→「ジャストサイズだからすっきり見えそう」
→「こういうTシャツをスタイルよく見えるデニムでスッキリ着こなすと、センス良いよね」
そんなふうに、「素材」や「形」、着たときの「シルエット」や「印象」で服を選ぶ視点を育てること。これが、本当に似合う服を見つけるための“土台”になります。
ただ、実際には「試着」や「自撮り」に踏み出せない方も多くいます。その原因には、お店に入りにくい、店員さんと話せない、そして、自分の身体へのコンプレックスなどがあると思います。
「スタイルが悪い自分の体を見たくない」「写真なんて絶対に無理」——これは、服の問題というよりも、「自分をどう受け入れるか?」という根本的な人生観の問題です。
「憧れ」という言葉に、私は違和感があります。
”憧れる”の言葉の由来は、”あくがる”。本来の場所を見失って、魂がさまよっている状態を指します。
憧れという言葉で自分自身と向き合うこと避けてしまう、他人に依存して自分の魂を奪ってしまう、自分を受け止めずごまかしているように思います。
現実から目を背けたままでは、コンプレックスと向き合うことができません。
だからこそ必要なのは、
自分のコンプレックス(現実)を直視すること。
他人との比較を手放し、自分自身の形=輪郭を浮かび上がらせること、だと思うのです。
私が提供している「装い哲学セッション」は、あなたの内面と外見をつなぐための問いを投げかけながら、
を見つめ直す時間です。
装いを整えることは、人生の輪郭を整えることでもあります。
「着たい服が分からない」「似合うものが分からない」という方は、装いに迷っているのではなく、「自分がどう在りたいか」がまだ言葉になっていないだけなのです。
「何を着るか?」ではなく、
「どう生きたいか?」から、服を選ぶ。
その軸が言葉になったとき、あなたの人生にふさわしい装いが、自然と浮かび上がってきます。
装い哲学セッションを受けたお客さまからの、嬉しい言葉に、
「鶴田さんをよく知らない”言語化が苦手な人”にとって、このワークはおそらく拷問です(笑)」
私はこのとき、「拷問」という言葉がこんなにもワクワクして、褒め言葉に感じられるとは思いませんでした。笑
ほかにも、
という感想をいただいています。
たしかにこのセッションは、優しいだけではありません。現実を直視し、自分を言葉にしていくのは、ときに“拷問”のように感じられるかもしれません。
けれど、モヤモヤしたまま「世の中の常識」に流され、コンプレックスと向き合えずに装いを曖昧にしているなら――
一度、静かに、まっすぐに、自分自身と対話する時間を持ってみてほしいのです。
装いの迷いを超えて、人生を支えるフレームを築くこと。
それは、自分自身の“真実”を言葉にして、輪郭を与えることから始まります。
CATEGORY :
さいたま市大宮区桜木町1丁目378番地 ビズコンフォート大宮西口ビル