2025-08-20
もう、人生半分以上、過ぎたのだから。
どうせ流行なんて、若者のものだ。関係ない。
どうせ半分以上、生きたのだから。残りの人生、好きなことしようじゃないか。
人の目って、誰の目?誰が見ているというのでしょうか。
いいえ。誰もあなたのことなんて、見ていません。
見ていないというのに、何の目を怖がっているのでしょうか。
不思議ですね。
みな、自分のことで精いっぱい。
自分の興味で精いっぱい。
だれも、私のことなんて興味は持たない。
それはそう。だって、赤の他人だから。
家族がいようと、死ぬときは孤独。
どうせ、一人なのだ。
自分がしっかりしていなければ、そばに誰がいようとふらふらする。
自分を乗り越えなくては。
そもそも誰も見ていないし、どうせ孤独なのだから。
自分のために、着たいものを着ようじゃないか。
アラフォー以上の世代となれば、あぁ、もう人生半分くらい生きた。
どうせ、一度きりの人生。
何をためらっているのか、ほかに何がしたいというのか。
ほかに何かできるというのか、何もないではないか。
ならば、着るものくらい、好きなものを着ようじゃないか。
このブログの主旨。
これは、私がずっと語ってきた「孤独(ミニマリズム)の尊さ」の具体的な実践です。
他者の評価という幻想から自由になることで、人生が軽やかになります。
自由になることで得られる「清らかさ」でもあります。
孤独を前向きに受け入れることで、むしろ強さと自由を得ることができます。
この「どうせ孤独」という言葉は、絶望ではなく、むしろ解放の言葉です。
これは死を意識するからこそ生まれる人生の哲学です。
「有限の自覚」は、自らの思想や生き方を力強くします。
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