
2025-12-21

50代になると、「何を着たらいいかわからない」と迷う人が増えるようだ。
けれど私は、違和感を覚える。
本当にそうだろうか。 30代のころは選べていた。それなのに、なぜ今は選べなくなったのか。
まず、言葉を正確にしたい。
迷うことと、考えることは違う。
迷いとは、自分に明確な基準がなく、判断を他人の評価に委ね、自分で決める責任を引き受けていない状態。
一方で、考えるとは、自問自答し、深ぼり、内省することで、自分なりの基準をつくる行為だ。
50代で迷っている人の中に起きているのは、「考えすぎた結果」ではない。
これまで基準を持たずに選んできたツケが、もう誤魔化せなくなっただけだ。
30代までは、多くのことが若さで何とかなっていた。
それでも、服はそれなりに成立した。
けれど50代になると、
そのすべてが、外見に表れる。
もう、隠れない。
50代は、競わなくていい。証明しなくていい。勝ちに行かなくていい。
なぜなら、生きている姿そのものが、そのまま滲み出る年代だから。
取り繕えば不自然になり、盛れば浮く。
だから必要なのは、若返ることでも、流行を追うことでも、頑張ることでもない。
工夫やテクニックではないのだ。
50代に必要なのは、 工夫ではなく、そぎ落とし、在り方を定め、引き受けること。
引き受けるとは、 自分をありのままの姿で受け入れる勇気を持つこと。
年齢のせいにしない。環境のせいにしない。誰かのせいにもしない。
その状態で生きていくと、決めることだ。
恐れず、ありのまま。在りたい姿で装うことだ。
「整えれば必ず変わる」という言葉は、どの年代にも当てはまる。
ただし、50代の整え方は違う。
足し算ではなく、引き算。工夫ではなく、覚悟。
生活を整え、身体を雑に扱わず、 選択の理由を自分の中に持つ。
そうすれば、服は静かに、人となりに寄り添う。
50代は、「何が似合うか」・「何を着たらよいか」を探す年代ではない。
どう在るかを、引き受ける年代だ。
―迷わなくていい。戦わなくていい。
生き方が定まれば、 装いは自然と定まる。
それだけのこと。
50代に、
自分を引き受ける覚悟をもって、丁寧に生活を整えるためにも、これらは必要ないのだ。
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