
2025-12-29

私が服を見るとき、そこにあるのは単なる「モノ」ではありません。
服は身体の延長であり、私という存在の一部です。
だからこそ、見た目だけでなく、まとった瞬間の感覚まで含めて判断しています。
たとえば――
さらに、その服が自分のベーシックアイテムとどう馴染むのか。
いつ、どんな場面で着る姿が自然に思い浮かぶか。
私は、視覚・触覚・生活シーンまでを含めた「一連の流れ」として、服を捉えています。
同時に、見た目の美しさにも妥協はしません。
目指しているのは、派手さではなく、品格と透明感のある美しさ。
高級感があり、決して安っぽく見えないこと。
世俗的すぎる要素や、洋服の歴史的文脈から外れた違和感のある色柄は選びません。
ブランドロゴに頼らずとも、ユニクロでさえ洗練させることはできる――
そう考えています。
美しさは、服単体では成立しません。
そのうえで、日常的にウィンドウショッピングを行い、流行を肌で感じ、良質なブランドの質感やデザインに触れ続けています。
こうした積み重ねが、審美眼を静かに育ててくれます。
セール品やアウトレットに飛びつくことは、ほとんどありません。
売れ残りに自分を合わせるのではなく、「本当にしっくりくるもの」を選びたいからです。
だからこそ、試着して腑に落ちた瞬間には、迷わず決断できます。
日々の観察と蓄積があるからこそ、判断が揺らがないのだと思います。
一般の方の多くは、着たときの感覚と言語化された判断軸を持っていません。
服の構造や、「なぜそう見えるのか」という理論がないため、どうしても見た目だけに意識が向きがちになります。
『ジャケットは固すぎないだろうか』
『これは自分に似合うのだろうか』
『シンプルな服は地味ではないか』
こうした迷いの根底には、「服ありきの自分」という発想があります。
服は自分との関係性を築くものではなく、
他者にどう見せるかのための道具になってしまっている。
その結果、判断基準は常に外側――
他人の評価に委ねられてしまいます。
多くのお客様は、服を感覚ではなく「情報」として見ています。
SNSのバズ、流行、価格、ブランド名、サイズ表記……。
正解探しや人の真似が先に立ち、身体を通した感覚や、素材・落ち感の違いを実感する経験が、どうしても少なくなります。
これは、センスの有無の問題ではありません。
単純に「見てきた量」と「着てきた場数」の違いです。
つまり――
私が見ている世界と、お客様が見ている世界とでは、服の捉え方そのものに違いがあります。
服と身体との対話の仕方。
日々の観察の積み重ね。
思考のプロセス。
それらが重なり合うことで、装いの「深さ」は、静かに形づくられていくのです。
服をモノではなく身体の延長として捉え、感覚・構造・審美眼から装いを考える。
装いの深さは、こういったことで深まります。
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