2025-07-08
装い哲学セッションをお申し込みくださった方々のワークを拝読するたびに、私は感動しています。
それぞれの文章には、その人ならではの人生観が詰まっていて、言葉の選び方、悩み方の方向性、ボキャブラリー、思考のクセ——どれを取っても、同じ人は一人としていません。
「みんな違って、みんないい」——まさに、あの詩の世界そのものです。
言語化された内容を読むかぎり、皆さんそれぞれに個性があり、美しさがあります。
たとえ迷いながらでも、自分の感情や考えを表現しようとする気配は強くあるのに、装いになると迷ってしまう。それはなぜなのでしょう?
言葉では表現できるのに、服になるとしっくりこない——そのギャップに、私はずっと興味を持ってきました。
装いが難しい理由の一つに、「制約」があると感じています。
TPO、社会的なルール、常識、流行、誰かの視線——そういったものが、装いを縛っている。
一方、言葉には自由があります。
誰の許可もいらず、何のコストもかからず、心から湧いたものをそのまま発することができるのです。
そしてもうひとつ。
言葉は、「自分の中から生まれたもの」
装いは、「誰かが作ったもの」
言葉は、「自分の中にあるもの」から自然と発するものであり、
装いは、「世の中に存在するもの」の中から選び取らなければならないもの。
服は誰かが作ったものの中から、自分に合うものを見つけなければならない。ある意味では、自分の好みではないものの中から「マシなもの」を選ばされているのかもしれません。
この差が、言葉よりも装い選びの難しさを生んでいます。
服にはコストがあります。サイズや予算の問題もある。
さらに、選択肢が多すぎるがゆえに、かえって「自分に合うものがない」と感じてしまう。
一方で、言葉は自分の中にあるもので完結していて、発するたびに「自分らしさ」が自然とにじみ出ます。だからこそ、しっくりくるのは当然なのです。
もし、言葉を発するように、服を選ぶことができたなら。
もっと自然で、自分らしい装いができるのではないか。
そんな想いが形になったのが、装い哲学セッションの「自問自答ワーク」です。
このワークを通して、お客さまが書かれた言葉には、生活のリアリティがあります。
考え方、悩み、願い、過去の失敗、日常の美意識。
それらを言語化することで、その人自身の輪郭が見えてくる。そして、それが装いのヒントになります。
「言葉で輪郭を描き、装いに落とし込む」
——この流れが、まさに装い哲学の要なのです。
私が、装い哲学セッションでのお客さまの言語化ワークから確信しているのは、美しさは人ぞれぞれに存在するということ。
皆さんの言葉からは、それぞれの個性豊かな美しさが確かに伝わってくるのに、社会的な価値観の「こうあるべき美しさ」に縛られて、装いに対する自信を奪ってしまう。
だからこそ、言葉を選ぶように服を選ぶこと——この方向へ、私たちは一歩ずつ近づいていけるのではないかと、心から思うのです。
まず、「どうありたいか?」を言葉にする。
たとえば、「凛とした人でありたい」「上品に」「過剰な装飾は避けたい」など。
そうして形になった「言葉」をもとに、装いに変換する。
このプロセスこそが、自分らしさを無理なく表現する装いの選び方であり、装い哲学セッションの醍醐味なのだと思います。
言語化には、恐るべき力があります。
その力を、装いに応用しませんか?
装い哲学セッションでお渡ししているワークは、単なる内省ではなく、「言葉を使って、自分の装いの軸を見つける」という実践的な方法論です。
もし今、「何を着たらよいか分からない」と感じているのなら——
まずは、自分の中にある言葉を探すことから始めてみてください。
そこから見えてくるあなたの輪郭は、きっと服選びにも自然とつながっていきます。
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