2023-11-29
先日、断捨離の本当の意味 ~モノとの向き合い方~という記事の中で、断捨離によって得た教訓について書きました。
断捨離で得た教訓とは、モノに対して、
このようにしてモノを大切にするということでした。
ですから新しいモノ(服や生活雑貨など)を買うときは、感謝の気持ちを持てるか?また一緒に思い出を作ることができるか?を良く熟考して買うようにしていきます。
そしてこの断捨離の話しには続きがあります—。
今回は子どもたちの赤ちゃんの頃や幼い頃の思い出が詰まった服についてのエピソードをお話しします。
ある日、思い出に浸りながら子どもたちの小さなころの服を整理しました。
「あーこの服、覚えてる。そうだ、こんなことあったなぁ、あんなことあったなぁ、、」という具合に選別し始めたとたん、その当時の子育てで大変だった情景がふと思い出されて急に胸が苦しくなってしまいました。
例えば、
1つ1つの服に対して各々の情景が浮かんでくるのですが、意外にも楽しい思い出よりも辛かった思い出のほうが浮かんでくるのでした。
なんだか胸が苦しくなりまして一人で苦笑いとなりました。
このようにマイナスな感情になることは予想外でびっくりしました。
というのも、成長した子どもたちと幼い頃の服をみて「へーこんなに小さかったんだ!」と微笑ましく笑い合ったり、幼い頃の写真や動画で見たことある服を見つけては「あ!この服、写真でみたことある!」などと盛り上がったこともあるからです。
まさか赤ちゃんの頃の服たちが、良い思い出の代物ではなくマイナスな感情を生むとは思いもよりませんでした。
でもこれによって気が付いたのです。
良い思い出はすでに心にある、そして辛い思い出はモノに染みつくのかもしれない、、そんなことを思いました。
みなさんにも『思い出の代物だから捨てられない!』ということがあるかもしれません。
ですが、それは違うのかもしれません―。
私が経験したように良い思い出はきっと胸の中にあるのですから、モノは手放しても大丈夫なのです。
むしろモノを見ることで大変だった経験や、あまり良い思い出ではないことなどが思い出されるかもしれません。
私も今回、苦しかった思いが染みついた服はもうここで、さようならしていきます。
ありがとうを伝えるために、自ら粗大ゴミが自己搬入できるゴミ処理場へ子どもたちの服を持って行きました。
係の人に案内していただき、2・30メートルもの深い大きな焼却場へポーンと洋服を投げ入れました。
まるで奈落の底へ落とすような気分でした。
そこに小さな子どもの服を投げ入れるなんて、と一瞬、躊躇してしまいましたが係のおじさんも優しく見守ってくれて、
「もう取り出せないからね!本当に大丈夫?」と声をかけて下さいました。
「はい、大丈夫です!」と言って投げ入れ、そして自然と手を合わせて「ありがとう!」と言っていました。
そしておじさんも「ありがとう^^」と口を合わせてくださいました。
そのとき一緒だった夫は「でも、大事に使い切ったからね。」と言ってくれました。
先日の断捨離の教訓と合わせて今回も、とても良い教訓を得ました。
これからの未来を家族みんなで楽しむためにも、
そんなことを思いました。
このとき、スナフキンの名言を思い出しました。
ものは、自分のものにしたくなったとたんに、
あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。
運んだり、番をしたり……。
ぼくは、どんなものであろうと、
見るだけにしている。
立ち去る時には、ぜんぶ、この頭の中に、
しまっていくんだ。
重いかばんを、うんうんいいながら運ぶより、
ずっと快適だからねぇ!
思い出はいつでも胸の中に。重たいものを持っていては快適に生きられない—。
みなさんも断捨離でもったいない感情と向き合ったり思い出の品を手放すときの辛い感情などを経験したりすると、モノを買う心構えが必ず変わると思います。
断捨離は人生の中で非常に大切な、ある意味超えなければならない試練と言えるかもしれません。
そして洋服は人生のお供であります。
良い人生を迎えるためには節目節目で断捨離という行動が、きっと必要なのです。
ぜひ来年は、さらに良い年にするために今から少し断捨離しませんか?
断捨離がなかなか進まないという方は、ミニマリストであり断捨離が得意な当方にご相談をお寄せいただければと思います。
パーソナルカラーや骨格診断で似合う服をお伝えするだけでなく、ミニマリスト歴10年の経験からワードローブ構築のアドバイスをすることもできます。
そして診断後のご相談は、ずっと無料です。
埼玉県さいたま市大宮区大門町2-12 石田ビル4F