2025-06-17
前編では、装いの意味と背景を知ることをテーマに、装いとは、生き方の表明であることを本質として、フォーマルとカジュアルの歴史をたどります。
そして後編では、装いの本質を捉えた上で、「実際にどのように自分らしい装いを実現するか」の実践的な内容をお届けします。
私たちが日常的に着ている洋服。ほとんど意識をせず選んでいるその服には、じつは「階級」や「文化」の歴史が色濃く刻まれています。
その多くはヨーロッパ文化を起源とし、洋服は「身にまとうもの=自分の立場を表すもの」という文脈の中で発展してきました。
たとえば、19世紀以降のイギリス社会では、「貴族」「中産階級」「労働者階級」といった階級制度が根付き、人々の暮らしや教育、言葉遣い、振る舞い、そして“装い”にまで、階級の色がはっきりと反映されていました。
この影響は現代にもなお残っていて、たとえ制度としての階級が緩やかになったとしても、生まれ育った環境によって受けられる教育や、選択できる職業に制限があることも少なくありません。
このような階級社会の中で、装いは「社会的ステータスを示すもの」として扱われてきました。
高価な服を身につけられるということは、それだけの「余裕がある生活」をしていることの証であり、洋服は単なる趣味や好みではなく、「時間とお金と教養のある人間です」という無言のメッセージでもあったのです。
装いは、「自分がどのような階層に属しているか」を、無意識のうちに語ってしまう。
たとえば「フォーマルな装い」は、貴族階級や上流市民が身にまとうもので、高価な素材、丁寧な仕立て、洗練された所作も合わせて、「豊かさ」や「教養」を表現するためのものでした。
一方「カジュアルな服装」は、労働者や庶民の暮らしに根ざした実用服です。動きやすさ、機能性、清潔感が重視され、華やかな装飾性はありません。
つまり──
フォーマルとは「裕福であること」「上流階級であること」の象徴。
カジュアルとは「日常に根ざした生活」や「労働に従事すること」の象徴だったのです。
現代ではその境界はあいまいになり、誰もが自由にフォーマルとカジュアルを選び取り、ミックスできる時代になりました。
現在のフォーマルウエアは、スーツやジャケット、ワンピースといったキレイ目な服として、またカジュアルウエアは、ワークウエア・スポーツウェア・アウトドアウェアとして、そのルーツを引き継いでいます。
けれども、こうした背景を知ることで、
こういったことが、できるようになるのではないでしょうか。
その人の所属や立場が伝わるものとして、制服やユニフォームの存在があります。
学生服、警察官の制服、ショップスタッフのユニフォームなど…その人が何者で、どんな役割を担っているか、社会的な地位や所属が着ているものから読み取れます。
これは、日常の服でも同じこと。
「この人、どんな人かな」「どこに行くのかな?」など、たとえ勝手な憶測だとしても、他者は読み取ることができます。
つまり装いは、自分のあり方を示したり、他者からの見られ方に影響されたり、社会への意思表示にもなったりするのです。
たとえば、「品よく、凛とした雰囲気でいたい」と思うなら、その雰囲気をまとう服を選びたくなります。
逆に、なりたい自分に合う服を着ることで、自然と背筋が伸びることもあります。
装いは人生を彩る相棒として、わたしたちにそっと寄り添い、力を与えてくれるものです。
このことから私は、装いは、自分が「こうありたい」と願う姿を支えたり、自分らしくあるための後押しをしてくれる、人生の「鎧」のようなものだと捉えています。
この「鎧」という表現には、
武士の鎧が身を守り、敵を威嚇し、士気を高めたように、
装いもまた、
としての役割を持つと捉えて、そこに深いリスペクトを込めています。
毎朝、服を選ぶという行為は、今日一日、自分をどう表現するかを選ぶこと。
それは、小さな選択の積み重ねを通じて、人生そのものをつくっていくことに、どこか似ています。
服は自由でありながら、同時にあなたが社会にどう立ちたいか、どう見られたいかを形にするもの。
「自分はどうありたいのか」
「自分はこういう人間です」
──そう胸を張って言いたい。
だからこそ今日一日、あなたが選ぶその一着に、ほんの少しでも「こうありたい自分」を込めてみてください。
たった一枚の服から、人生は変わっていきます。
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